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三十六歌仙
三十六歌仙とは
- 三十六歌仙とは、藤原公任(966-1041)によって選出された、歌人36名を言う。
- 柿本人麻呂、山部赤人の万葉集時代から始まり、900年代、平安中期までの歌人から選ばれた。
- この内、24名は百人一首にも選ばれている。(百人一首の撰者は藤原定家(1162-1241))
- 女性は小野小町、伊勢、中務、斎宮女御、小大君の5名。
- 六歌仙との重複は小野小町、在原業平、僧正遍昭の3人。
柿本人麻呂 |
660年~724年。歌聖。人丸とも。 百人一首-3 解説 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ |
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山部赤人 |
?年~736?年。人麻呂と並び、歌聖と称えられる。 百人一首-4 解説 田子の浦に 打出でてみれば 白妙の ふじの高嶺に 雪は降りつつ |
猿丸大夫 |
?年~?年。生没年不明。謎が多い。人麻呂と同一人物とする説もある。 百人一首-5 解説 奥山に 紅葉ふみ分け なく鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき |
大伴家持 |
718年~785年。万葉集の編纂に関わったとされる。六歌仙。 百人一首-6 解説 かさゝぎの 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける |
小野小町 |
?年~?年。六歌仙。女房三十六歌仙。美人であったとされる。 百人一首-9 解説 花の色は 移りにけりな 徒に 我が身世にふる ながめせしまに |
僧正遍昭 |
816年~890年。遍昭とも。六歌仙。俗名は良岑宗貞。桓武天皇の孫。 百人一首-12 解説 天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ をとめの姿 しばし留めむ |
在原業平 |
825年~880年。六歌仙。伊勢物語の主人公とされる。 百人一首-17 解説 ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは |
藤原敏行 |
?年~907?年。能書家としても知られる。 百人一首-18 解説 住の江の 岸に寄る浪 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ |
伊勢 |
872?年~938?年。古今集時代の女流歌人。 百人一首-19 解説 難波潟 短き葦の ふしのまも あはで此の世を すぐしてよとや |
素性法師 |
?年~?年。生没年不明。僧正遍昭の子。俗名は良岑玄利とされる。 百人一首-21 解説 今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな |
藤原兼輔 |
877年~933年。管弦にも優れた。 百人一首-27 解説 みかの原 わきて流るる 泉川 いつみきとてか 恋しかるらむ |
源宗于 |
?年~939年。光考天皇の孫。 百人一首-28 解説 山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば |
凡河内躬恒 |
859年~925年。紀貫之と共に古今和歌集の撰者となった。 百人一首-29 解説 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 |
壬生忠岑 |
860年~720年。古今和歌集の撰者。壬生忠見の父。 百人一首-30 解説 有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし |
坂上是則 |
?年~930年。蹴鞠の名手でもあった。 百人一首-31 解説 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 |
紀友則 |
845?年~907年。紀貫之の従兄弟。古今和歌集の撰者。 百人一首-33 解説 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ |
藤原興風 |
?年~?年。生没年不明。琴の名手でもあった。 百人一首-34 解説 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに |
紀貫之 |
866年~945年。古今和歌集の撰者であり、土佐日記の作者でもある。 百人一首-35 解説 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける |
平兼盛 |
?年~991年。光考天皇の子孫。赤染衛門の実父とされる。 百人一首-40 解説 しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで |
大中臣頼基 |
886年~956?年。大中臣能宣の父。 拾遺和歌集-276 ひとふしに千世をこめたる杖なれはつくともつきし君かよはひは |
源公忠 |
889年~948年。鷹狩の名人でもあった。 新古今和歌集-1444 ももしきにかはらぬものは梅の花おりてかさせるにほひなりけり |
清原元輔 |
908年~990年。清少納言の父。清原深養父の孫。後撰和歌集の撰者。 百人一首-42 解説 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは |
藤原敦忠 |
906年~943年。藤原時平の子。琵琶の名手。 百人一首-43 解説 逢ひみての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり |
藤原元真 |
?年~?年。甲斐守であった藤原清邦の子 後拾遺和歌集-984 あたら夜の月と花とをおなしくはあはれしれらん人に見せはや |
藤原朝忠 |
910年~966年。管楽にも優れた。藤原定方の子。 百人一首-44 解説 逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし |
源信明 |
910年~970年。中務と大変親しかったと伝えられる。 後撰和歌集-595 わひしさをおなし心ときくからにわか身をすてて君そかなしき |
中務 |
912年~991年。伊勢の子。 後撰和歌集-952 有りしたにうかりしものをあかすとていつこにそふるつらさなるらん |
源重之 |
?年~1000年。清和天皇の曽孫。旅を好み、歌をのこした。 百人一首-48 解説 風をいたみ 岩うつ浪の おのれのみ 砕けてものを 思ふ頃かな |
藤原仲文 |
923年~992年。清原元輔らと親交を持つ。 拾遺和歌集-436 ありあけの月のひかりをまつほとにわか世のいたくふけにけるかな |
斎宮女御 |
929年~985年。徽子女王。伊勢斎宮、村上天皇女御。 拾遺和歌集-451 琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ |
藤原清正 |
?年~958年。藤原兼輔の子。 後拾遺和歌集-336 秋風にいととふけゆく月影をたちなかくしそあまの河きり |
藤原高光 |
939年~994年。妖怪退治や高賀六社など岐阜にゆかりの地が多い。 拾遺和歌集-360 紫の色にはさくなむさしのの草のゆかりと人もこそ見れ |
源順 |
911年~983年。漢詩にも精通し、多才で知られた。 拾遺和歌集-198 名をきけは昔なからの山なれとしくるる秋は色まさりけり |
壬生忠見 |
?年~?年。生没年不明。幼少期より才が知られていた。 拾遺和歌集-1121 吹く風にちる物ならは菊の花くもゐなりとも色は見てまし |
大中臣能宣 |
921年~991年。大中臣頼基の子。伊勢神宮の祭主。後撰和歌集の撰者。 百人一首-49 解説 御垣守 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ ものをこそ思へ |
小大君 |
940年~950年。中宮媓子に女御として仕えた。 後拾遺和歌集-1213 道芝やおどろの髪にならされて移れる香こそ草枕なれ |