ここでは、和歌山県の国宝を紹介します。高野山は別途こちら(高野山)です。
※いずれの国宝も必ずしも公開されているわけではありません。
※国宝の中には掲載された住所とは異なり、博物館などへ貸出や寄託をしているものも多くあります。
2023/10/11~12/3の期間中、東京国立博物館にて特別展「やまと絵」が開催されており、多数の国宝絵画、和書が展示中です。
和歌山県の国宝マップ
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和歌山県の国宝
善福院- 和歌山県海南市にある天台宗の寺院であり、山号は宝遊山。
- 1215年に廣福寺五ヶ院の一つとして創建され、明治初期の廃仏毀釈を経て現在の名前に改められた。
| Wikipedia | 海南市下津町梅田271 ( 地図 ) | |
国宝建築善福院釈迦堂 | 寺院 | google | 写真 | Twitter | 桁行三間、梁間三間、一重裳階付、寄棟造、本瓦葺であり、堂内には釈迦如来像が安置されている。鎌倉時代の禅宗様建築であり現存する禅宗様仏殿の最古例の一つである。 |
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根来寺- 和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山である。
- 寺院の山号は一乗山で、開山は覚鑁(興教大師)である。
- 覚鑁は高野山内に伝法院を建てた後、大伝法院と密厳院を建立し、高野山全体を統括する勢力を持った。
- 1140年に起きた錐もみの乱により、覚鑁一門の寺院が焼き討ちされ、豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、根来寺が形成された。
- 室町時代には、一大宗教都市となり、僧兵軍団を擁し、火縄銃一挺が持ち帰られ、鉄砲隊が作られた。
| Wikipedia | 岩出市根来2286 ( 地図 ) | |
国宝建築根来寺多宝塔 | 寺院 | google | 写真 | Twitter | 日本最大の木造多宝塔であり、高さ40メートル、幅15メートルである。本尊は胎蔵大日如来で、内部には12本の柱が円形に立ち、四天柱が立っている。豊臣秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残っている。 |
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鞆淵八幡神社- 応神天皇、仲哀天皇、姫大神を祀る神社で、旧県社である。
- 例祭は毎年10月15日に実施され、国宝に指定された平安時代末〜鎌倉時代初期の神輿が存在する。
- この神輿は沃懸地螺鈿金銅装であり、漆工芸品に見られる沃懸地技法が使われ、12世紀末の作品である。
- 神輿とともに伝来する奉送目録によると、安貞2年(1228年)に中宮藤原長子が石清水八幡宮に奉納した神輿が、不用となり鞆淵八幡神社に奉送されたという。
| Wikipedia | 紀の川市中鞆渕58 ( 地図 ) | |
沃懸地螺鈿金銅装神輿 | 神輿 | google | 写真 | Twitter | 総高は226センチで、金銅製の帽額、華鬘、幡を備え、四隅の柱は後補だが、框と桁は当初のもので沃懸地螺鈿で装飾されている。1228年に石清水八幡宮から鞆淵八幡神社に奉送された。 |
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粉河寺- 和歌山県紀の川市にあり、千手千眼観世音菩薩を本尊とする総本山である。
- 伝承によれば、大伴孔子古が宝亀元年(770年)に草創したとされ、粉河寺縁起にはその起源や千手観音の霊験説話が語られている。
| Wikipedia | 紀の川市粉河2787 ( 地図 ) | |
粉河寺縁起 | 大和絵、絵巻 | google | 写真 | Twitter | 縦30.8cm、横1984.2cm。前半が粉河寺創建の経緯、後半が河内の長者一族が観音の霊験にあって出家する話で構成されている。 京都国立博物館に寄託 |
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隅田八幡神社- 和歌山県橋本市にある神社で、旧社格は県社。
- 石清水八幡宮から勧請され、国宝に指定された人物画象鏡を所有している。
- 例祭や「管祭」が行われており、戦国時代に一時焼失したが再建された。
- 所有する銅鏡には、男弟王の長寿を祈ったという記述があり、継体天皇を指す可能性もある。ただし、解釈に異説がある。
| Wikipedia | 橋本市隅田町垂井622 ( 地図 ) | |
人物画象鏡 | 考古資料の古墳時代 | google | 写真 | Twitter | 東京国立博物館に寄託 |
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道成寺- 千手観音を本尊とし、新西国三十三箇所第5番札所にもなっている。
- 創建時期には諸説あるが、8世紀初頭には既に寺院が存在していたと考えられ、仏像群も平安時代初期から中期のものが多い。
- 1585年の紀州征伐で寺は焼失し、その後徐々に整備されていった。
- 創建時は法相宗だったが、後に真言宗を経て、天台宗に改宗した。
| Wikipedia | 日高郡日高川町鐘巻1738 ( 地図 ) | |
木造千手観音立像 | 仏像 | google | 写真 | Twitter | 291.0センチの一木造で、作風から平安時代初期・9世紀の作と推定される。 |
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木造菩薩立像 | 仏像 | google | 写真 | Twitter | |
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丹生都比売神社- 紀伊国一宮である式内社(名神大社)であり、神社本庁の別表神社である。
- 「天野大社」「天野四所明神」とも呼ばれ、全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社である。
- 境内には国の重要文化財である本殿や楼門、国の史跡に指定された境内がある。
- 高野山への入り口にあたることから、高野山参拝前にはまず丹生都比売神社に参拝する習わしがあった。
- 神社自体も高野山からの影響を受け、境内には仏教系の遺跡・遺物が残っている。
| Wikipedia | 伊都郡かつらぎ町上天野230 ( 地図 ) | |
銀銅蛭巻太刀拵 | 刀装 | google | 写真 | Twitter | ※東京国立博物館に寄託 |
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慈尊院- 境内は、国の史跡「高野参詣道」の一部として指定されており、弥勒堂は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部にも登録されている。
- 高野山の政所として創建され、高野山町石道の登り口に位置する。
- 空海(弘法大師)が創建し、母公が弥勒仏を熱心に信仰していたため、入滅して本尊に化身したという信仰が盛んになっている。
| Wikipedia | 伊都郡九度山町慈尊院832 ( 地図 ) | |
木造弥勒仏坐像 | 仏像 | google | 写真 | Twitter | 像高は91cm。平安時代初期彫刻の特色が現れている。開扉は21年に一度とされている。 |
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