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ここでは、福井県の名城を紹介します。
福井県の名城マップ
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福井県の名城
丸岡城
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坂井市
城
丸岡城は、江戸時代に丸岡藩の藩庁として使われた城で、現存12天守のうちの1つです。
城は丘陵に築かれ、五角形の内堀があり、天守の内部は見学可能で、自由に撮影もできます。
城の周辺は霞ヶ城公園として整備され、桜の名所としても知られています。
- 1576年(天正4年): 柴田勝家の甥である勝豊によって丸岡城が築かれる。
- 1582年(天正10年): 本能寺の変の後、勝豊は近江国長浜城に移され、安井家清が城代となる。
- 1583年(天正11年): 柴田勝家が滅ぼされ、丹羽長秀の所領となり、青山宗勝が丸岡城主となる。
- 1600年(慶長5年): 西軍方についた青山宗勝とその子・忠元が改易され、結城秀康が入封し今村盛次が城主となる。
- 1612年(慶長17年): 今村盛次が福井藩に附せられ、本多成重が城主となる。
- 1624年(寛永元年): 松平忠直の不行跡により福井藩減封となり、本多成重が福井藩から独立し丸岡藩が成立する。
- 1695年(元禄8年): 本多家の丸岡藩でお家騒動が起こり、改易となり有馬清純が入城する。
- 1871年(明治4年): 廃藩置県により丸岡城が廃城となり、天守以外は解体・破棄される。
一乗谷城
–
福井市
城跡
一乗谷城は、朝倉氏の居城で、福井市街から東南方向に10キロ離れた一乗谷川の谷に位置しています。
周囲は山に囲まれた天然の要塞で、城下町が計画的に整備され、寺院、商人の町屋などが立ち並んでいました。
一乗谷城は福井平野を一望できる山に築かれました。
- 1471年(文明3年): 朝倉敏景が黒丸館から一乗谷へ本拠地を移す。
- 1499年(明応8年): 足利義稙が朝倉貞景を頼り一乗谷を訪れる。
- 1567年(永禄10年): 朝倉義景が足利義昭を安養寺に迎える。
- 1568年(永禄11年): 足利義昭が上洛するため一乗谷を離れる。
- 1573年(天正元年): 朝倉義景が刀禰坂の戦いで敗北し、大野へ逃れる。織田信長の軍勢によって焼き尽くされる。
- 1575年(天正3年): 一揆勢が一乗谷に攻め入り、柴田勝家が北ノ庄に本拠地を移す。
- 1967年(昭和42年): 一乗谷の発掘が開始される。
福井城
–
福井市
城跡
福井城は福井藩主越前松平家の居城で、本丸の石垣と堀が残っています。
前身は北ノ庄城であり、築城年代は不明ですが、南北朝時代には城郭が存在したとされています。
朝倉氏が滅亡した後、信長の支配下となり、柴田氏、結城氏と渡ったと考えられています。
- 南北朝時:城郭が存在する。
- 1338年(建武5年): 斯波高経が足羽七城の1つとして築城、その後、 朝倉頼景が館を築き、北庄朝倉家の拠点となる。
- 1575年(天正3年): 柴田氏が築城した柴田氏北ノ庄城が存在。
- 1601年(慶長6年): 結城氏が築城または改築した結城氏北ノ庄城(後の福井城)が存在。
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福井城巽櫓(たつみやぐら)の取り壊し前写真をAIでカラー化したもの
越前大野城
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大野市
城
佐柿国吉城
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美浜町
城跡
玄蕃尾城
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敦賀市
城跡
玄蕃尾城は福井県と滋賀県の県境、北国街道を見下ろす要所に位置する山城です。
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の本陣が置かれた地でもあります。
築城時期については諸説あり、定かではない。
- 15世紀: 豪族柳ヶ瀬秀行?、朝倉氏の家臣?によって築城される?
- 1578年頃(天正6年頃): 柴田勝家が北国街道の整備を行いながら、越前衆を使い築城?
- 1582年~1583年頃(天正10~11年頃): 羽柴秀吉との戦いに備え、柴田勝家の家臣である佐久間玄蕃允盛政によって築城?
- 1583年(天正11年)3月: 柴田勝家が中尾山に本陣を置く。
- 1583年(天正11年)4月: 秀吉が大垣に出陣した隙に、勝家軍が進撃するが反撃にあい、総崩れとなり勝家は北ノ庄へ敗走する。